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5.好き / 君が好きだということ




Side H





ドンへが引っ越しするぞ、なんて大声を張り上げるのはやめてほしい。
早く見送りに降りて来いってことなんだろうけど、今の心情には痛いくらい刺さる。



「あ、ヒョクチェやっと来た」



ふわりと微笑んだドンへを見て、どうしようもないくらい胸が締め付けられる。
あの日から目すら合わせていなかった。酷く、ドンへが遠くなった気がする。


言えない言葉が募った日々だった。たくさんあったはずの、
言いたくても言えなかった言葉はもう、何一つ頭に残っていない。
ただ一つ、今、伝えたいことは…



「ヒョクチェ、いつでも遊びに来てね」

「う、ん…」

「待ってる。ヒョクチェのこと、ずっと待ってるから。」



そう言って、そんな愛しそうに笑うから。
また、絶対に伝えられない想いが重くなっていくんだ。知らないんだろうな。

伝えたかった。全部全部、伝えてしまえば、もっと笑えてかのかもしれない。


ねえ、ドンへ。俺今、ちゃんと笑えてる―?



「……ドンへ、」

「ん?」

「元気で、な…」



涙が出そうになるのを必死で飲み込んでそう言うと、ドンへが乾いた笑い声をあげた。
やだなあ、いつでも会えるじゃん、ずっと一緒だよ、なんて、俺を泣かせるようなことを言いながら。

分かってない。ドンへは何も分かってないけれど、
そんな奴を好きになった俺も、傍から見れば何も分かってない奴なんだろうか。


大切なことを伝えたい。涙が出る前に、全て伝えてしまえれば楽なのに。
俺とドンへの間には、綺麗な透明の、分厚い分厚い壁がある。俺には、絶対に超えられない。



「じゃ、俺もう行くね」

「うん…」

「絶対、絶対遊びに来てね、約束。」



ドンへは笑いながら、俺の前に小指を差し出す。
「あ、でも、彼女がいないときね。」なんて照れ臭そうにはにかむから、
俺は衝動的にその綺麗な小指に、自分の小指を絡めた。



「行く、絶対行く。行ってやる。」

「ははっ!ヒョクチェ何それ」



この笑顔が自分だけのものだったら、俺はこんなに苦しまずに済んだはずだ。
絡まった指先の温度でさえも愛しい。涙が出る。

これからは、彼女の隣で、この笑顔が咲き乱れる。彼女の隣で、この体温が揺れ動く。
いやなのに、本当は笑いたくなんてないのに、
笑うしかない俺は、なんて弱虫なんだろう。




「じゃ、またね、ヒョクチェ。」

「また、な」

「連絡する、今日。部屋の感想言い続けるから。」

「バカ、俺が飽きるって」



笑った。ドンへの近くで。これが最後かもしれないから。
覚えていて欲しい。記憶の片隅でいいから、俺のこと。


すき、すき、だいすき。どうして届かないんだろう。
すり抜けていく。どんどん遠ざかっていく。俺も、違う道を歩き出す。




「行ってくるね、ヒョクチェ」




そう言って笑って手を振ったドンへに、俺も笑って手を振りかえす。
これ以上なく優しく微笑むと、ドンへは玄関のドアを開けた。

ああ、もう、本当にいなくなってしまう。
俺は最後まで、何も伝えられなかった。







視界に広がる外の太陽が眩しい。
その光の中で、ドンへの背中が遠ざかっていく。


想いだけが、残る。届かないで、残り続ける。



バタン、と玄関のドアが閉まって、もう、瞳の奥にしか、ドンへが残っていない。
完全に見えなくなった後姿が、頭の中に、心の中にこびりついて離れない。



「…ッ……」




頬に迸る熱い雫。こんなに泣いても、本当に伝えたかったことは、言いたかったことは、
まだ、きっとこれからもずっと、俺の心の中だけに留まる。

もう、届くことはない。














好き、それが、本当に言いたかったこと。


















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